上映作品『わたしを演じる私たち』 (2024年/89分/監督:飯田基晴)
去る9月3日に第124回 VIDEO ACT! 上映会を開催し、『わたしを演じる私たち』を上映しました。参加者は55名で、いつもの上映会より参加者が多く、関心の高さがうかがえました。
本作は、神奈川県横浜市にあるOUTBACKアクターズスクールの活動を描いた作品。ここでは精神障害当事者が自らの実体験を盛り込んだ脚本による演劇活動を続けています。
冒頭、数人のメンバーが紹介されます。トモキチさん、ドニーさん、えっちゃん、さしくん、新谷さん。各々、状況は様々ですが、どのような困難を抱え、現在どうしているのかが語られます。中でもえっちゃんは、今回の演劇公演の主役となっていきます。
ワークショップでは、花やボールになってみたり、自らの体験をパントマイムで表現したり。こうした光景は演劇の練習風景としてはよくありそうです。けれども、上映後のトークでOUTBACKアクターズスクール校長・中村マミコさんが「体育会的な発声練習は嫌い」と言っていたように、大声を出す発声練習はありません。他者との関係が苦手な人たちも、一つの演劇を作る中で緩やかな関係が作られていくことが分かります。
公演2か月前、劇の台本が出来ました。舞台はえっちゃんが働く喫茶ほっとから始まります。歌の練習もしていることから、劇中、ミュージカルシーンもあるようです。
劇の形が見えてきた公演2週間前になると、体調を崩す人も出てきます。この場面を見ながら、ふと、この公演は誰のためにあるのだろう、という疑問が湧いてきました。OUTBACKは、いわゆるプロの役者集団とは違うでしょう。プロの役者なら体調不良を乗り越えてでも、公演を成功させなければいけいない。では、OUTBACKのメンバーは、無理をしてでも公演をしなければならないのか。いや、公演である限り、観客に見てもらわなければいけないので、多少の無理もしなければならないのかもしれません。原点に立ち返って、精神障害当事者が自らの実体験を盛り込んだ演劇とは何か、ということを考えたりしていたのですが、思考はぐるぐる回って答えは出ません。
そんなことを思いながら、公演本番の映像を見ていました。
上映後のトークに、ヒントがありました。中村マミコさんは、当事者が自らの経験を語り、他者が聞くという活動はよくあるが、もっと開かれてもいいのではと感じていたとのこと。また、福祉ではどうしても当事者を守る方向に行くが、守られていない場所、未知の世界に触れる場所を提供したいとの思いがある、と。また、本作の監督・飯田基晴さんは、ドキュメンタリーでは撮影過程で登場人物が変化していくことが多いが、本作を撮影した際には、変化してもしなくても撮る、と決めていたとのこと。
確かに本番の映像を見ていると、出演者は生き生きしているので、彼らは何か変わったのでは、という過剰な期待を持つ、本作を見る観客側も思い込みを持ちがちです。けれども、出演者達は舞台を降りた後も、また自らの日常に戻っていきます。おそらく、出演者にも、OUTBACKにも、本作監督にも、私が先に書いた疑問への答えはないでしょう。答えがない、分からないからこそ、本作を見る面白さがあるように思いました。
(本田孝義)