〜「幸せな時間」老いる・看取る・見守る、それぞれの視点から〜と題し、
横山善太監督の「幸せな時間」を上映した。
本作品は2011年2月に開催された第2回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルにて
観客賞を受賞した話題作だ。入場者は約50名。
監督、上映会企画者のがんばりの甲斐あってか、
普段のビデオアクト上映会よりも盛況な上映会となった。

「幸せな時間」は、50年もの歳月を共にした老夫婦が主人公だ。
二人のゆったりとした時間を、撮影者である孫娘が記録し、
大学時代の同級生であり、この映画の制作中に夫となった
横山監督が編集・構成を行った作品だ。
元々は映画にする意図はなく、孫が自身のおじいさんとおばあさんの姿を
なにげなく撮影していたそうだ。
途中、老夫婦にはそれぞれ病が見つかり、しっかりと記録し映画にしようという
意識が芽生え完成した作品だ。記録は5年にも及んだという。
撮影者は大学で映画を専攻していたことから、
映像は安定しており、とても美しい。
登場人物の一人であるお母さんの、本音でバシバシ語りながら
老夫婦を介護する姿もユーモラスで魅力的だし、
おばあさんの表情やしぐさ、「もっとそばにきて」と
体調の芳しくないおじいさんにささやく瞬間など、
身内でなければ捉えられない自然な雰囲気が特に印象的だった。
また、編集・構成を担当した監督は、
「おばあさんを見ていると、妻の老後を見ているような感覚を覚えた」とし、
老夫婦のラブストーリーに集約した構成を心がけたという。
確かに、映像の中のおばあさんは美しく慈愛に満ちた女性として描かれていた。
その辺りは、夫婦愛・家族愛を捉えた映像としてとても優れたものだと感じた。
タイトルの「幸せな時間」とは言い得て妙で、老夫婦にとっての幸せ、
そこに孫夫婦が介在できる幸せが込められていると素直に思えた。

その一方で、私にはどうしても映画の中に入り込めない部分もあった。
老夫婦の過去に関する情報は、ほとんど示されていないことだ。
二人の名前、暮らしている地域すら、明確に知らされない。
また、映画制作に関わった人物のクレジットさえ一切なく映画は終わるのだ。
当日の観客アンケートには「老夫婦の情報がないことで自分の祖父母と重ねて
映画を観ることができた」との好意的な声もあったが、老夫婦と暮らした経験のない、
シングルマザーの家庭で育った私には「ここは家族の領域だから、立ち入らないで!」と
言われているような、敷居の高さを感じてしまった。
「幸せな時間」は、金輪際私には訪れないのかと、悲しくなった。
二次会では、監督や関係者、ビデオアクトスタッフとで酒を飲みながら、
率直な意見を交わした。傑作と絶賛するスタッフもいる傍ら、
「孫が祖父母を撮ると、まるでペットを撮るようにふるまってしまう」
「孫のファンタジーとして構成しきれていない中途半端さがある。
監督は何を監督しようとしたのか?」などというような厳しい意見も飛び交うほど、
活発なものとなった。
(ビデオアクトスタッフは、ドキュメンタリー映画制作者が大半なので、
作品をより完成度の高いものにしたい思いもあり、
ストレートな意見をしたまでなので、意地悪な集団と思わないでいただきたい・・・)
「幸せな時間」は、今後劇場での公開を目指すという。
老夫婦と若い夫婦となった制作者。
二つのカップルがつむぐ愛の物語は、一層ブラッシュアップされ、
広く人々の心に届くことを私は願っている。
報告 土屋トカチ
