上映作品
「森の慟哭」 監督:中井信介
5月29日、59回目のビデオアクト上映会がいつもの会場、東京ボランティア市民活動センターで行われた。上映作品は、中井信介監督の『森の慟哭』。マレーシアのサラワク州におけるアブラヤシのプランテーション開発の問題点を丁寧に浮き彫りにして行く秀作だ。
観ていて印象に残ったのは、対照的なふたつの言葉だ。ひとつは、開発に反対するダタビラ村の村長の言葉。「土地は命。この森は私たちの銀行なのです」。もうひとつは、日本の開発業者の言葉。「彼らに持続可能な森林経営を理解させるのは大変だ」。村長は、森から生きていく為の糧を頂きながら、伝統的な智恵を使って森と共存してきた。開発業者は、森を経営対象とみなし、コントロールしようとする。私は、両者の違いを善悪で判断しようとは思わない。しかし、グローバリズムは、多様な生き方の選択を不可能にし、世界を一色で塗りつぶす。作品を観ながら、そんなことを考えさせらた。
上映後は、監督の中井信介さんと彼の取材をコーディネートしたフォトジャーナリストの峠隆一さんを交えてのトーク&ディスカッションがあった。中井さんは、80年代後半、ネイティブの暮らしに憧れ、何度かサラワクを訪れたことがあったという。当時は、森林伐採が問題とされていたが、プランテーション開発はなかった。しかし、近年の開発の酷さを知り、取材してテレビ番組の企画として持ち込んだが「視聴率が取れない」という理由で断られたという話をして下さった。峠さんは、サラワクに20年以上通っているというツワモノで、80年代後半の森林伐採問題の時、マスコミはブームは作っただけだったと語った。
お二人の話を聞いていたら、「経営する」という感覚とは全く違った森との共存のイメージが伝わってきた。中井さんは、「サラワクの人々は、楽しんで生きるのが上手」と言った。峠さんは、「サラワクには、”福祉”、”ボランティア”という言葉がない」と教えてくれた。困っている人を無償で助けるのは、ごく自然な振る舞いだからだ。
私の実家は群馬の兼業農家だ。かつて、お袋に今までで一番旨かった食い物は何かと尋ねたことがある。お袋は、「真夏の野良仕事の最中にもいで喰ったトマト」と答えた。「いやいや、お母さん、スタバの何とかコーヒーの旨いよ」と諭したとしても、「おら、やだ」と一蹴されるだろう。豊かさは一色ではないことを、今回の上映会で再認識させてもらった。
(報告:土屋 豊)