【上映作品】
「原発附和雷同〜東京に暮らす私の3.11〜」(監督:石本恵美)
「『原発』都民投票〜これまでとこれから〜」(監督:土屋トカチ)
去る3月29日、ビデオアクトの64回目となる上映会がいつもの東京ボランティア・市民活動センターで行われた。いつも参加者に配布しているビデオカタログを64回目にして初めて持って来るのを忘れるという私の失態を尻目にどんどん人は集まって、最終的には50名以上になった(皆さんにカタログを配りたかったが、今さらどうにもならない)。
上映作品は、「原発附和雷同〜東京に暮らす私の3.11〜」(監督:石本恵美)と「『原発』都民投票〜これまでとこれから〜」(監督:土屋トカチ)。この2作品を上映する上映会自体のタイトルは、【3.11以降、東京にて】だ。原発事故という現象を前にしては東北だけが被災地ではないことは明らかだけど、やはり直接の被災地とは状況が全く違うここ東京に住みながら、私たちは何を考え、何をしてきたのかを話し合いたいと思って企画した上映会だ。
最初に上映した「原発附和雷同」は、東京に住む監督の一人称で語られる”逡巡”の物語だ。2011年3月12日以降、洗濯物を外に干していいかどうかを悩む監督は、反原発デモに参加して何か変わるのかと自分に問い、被災地に行かない自分に何か罪悪感のようなものを感じる。そして、被災地に行ったら行ったで、何かを語っても良い資格を得たような気になっている自分に嫌気がさす。この”逡巡”、今まであまり語られてなかったような気がするけど、誰もが少なからず感じたことではなかっただろうか?
次に上映した「『原発』都民投票」の登場人物たちもその例外ではないように思われる。東京電力管内の原発稼動の是非を問う都民投票の実施を求める為に、214,206筆以上の署名を2ヶ月以内に集めるというミッションを背負った人々はバリバリの活動家ではない。おそらく、何度もの”逡巡”の果てに、とりあえず、この運動に辿り着いたのではないだろうか?”とりあえず”という言い方は失礼なのかもしれないが、「今やれること、やりたいと思うことをやる。その先のことはわからない」という意味での”とりあえず”は至極自然で真っ当なことだと思う。
逡巡してる人はダメで、行動している人は素晴らしいとする考え方はあまりに短絡的で共感できない。逡巡しながら行動し、行動しながら逡巡する。この当たり前のことが二つの作品を通して見えてきた今回の上映会はなかなか素晴らしかったんじゃないかと思う。
「『原発』都民投票」を観ていても、署名の数が問題なのではなくて、この行動をきっかけに自らの思いを話し合う場所、原発に対する率直な意見を語り合うスペースを多くの人が求めていることがよくわかった。
上映後のディスカッション、そして、その後の打ち上げがそういう「場所」になったことは言うまでもない。これからも上映作品を肴にして参加者全員で飲みながら話し合える、そんなビデオアクトならではの上映会を続けて行きたいと思った夜でした。
(土屋 豊)