2013年11月25日
10月の上映会「3.11から2年半が過ぎて」報告文&トーク映像
2011年の3月11日から約2年半。ビデオアクトでは10月1日に『3.11から2年半が過ぎて』と題し、東京・福島・埼玉それぞれの地域における「その後」を取材して製作された映画3本を上映し、製作者のトークを行った。
まずは東京。
インターネットのインディペンデントメディアとして著名なOurPlanet-TVが制作した『経産省前ひろば・脱原発テントの600日』は、同サイトでリアルタイムで「報道」として配信されてきた映像を構成したものだ。東京の経産省前での「脱原発テント」における抗議活動の様子、そこに集う人々の声、それぞれの視点や声が紹介される。ネット上に「報道」する動画として撮影されてきた断片を「まとめる」という意志のもとに製作された映像だが、こうして構成されることでこそ、さらに深く見えてくるものがあり、検証されていくことがあるだろう。
編集するのには、まとまった時間と手間が必要であり、日々の配信に追われる制作者にとっては大変な作業だったのではなかろうか。だからこそ、こうした形でも「残していくこと」の必要性が感じさせられた試みだった。
続いて福島。
これまでにも東日本大震災後の「福島」を撮影した映像作品を製作されてきた湯本雅典監督による『何も変わらない中で 2013年・春・福島』は、福島第一原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた土地に住んでいた人たちが、その現実をどのように見つめているのか。また、放射線に対する考え方の違いが、人々にさまざまな「分断」を引き起こす中、それぞれがどのように「自分」の態度を決めようとしてきたのか。そういった複雑な事情に分け入り、真摯に話を聞き、製作者も共に考えているような姿勢で製作された作品だった。
一度、福島県外に子どもを連れて避難していた母親が、福島県内に戻って生活をしている気持ちを聞き取った場面が印象的。県外での避難生活に「安住」は見い出せなかった。だからといって、現在の生活はどうなのか。中途半端な状況に置かれ続ける現実は、いつ「進展」を見せるのだろうか。見せないのだろうか。先行き不透明の中、自らのその時々の真実に忠実であろうと思考する態度が記録されていた。
そして、埼玉・福島。
昨年9月のビデオアクト上映会で『原発の町を追われて 〜避難民・双葉町の記録』を上映された堀切さとみさんが続編の『続・原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録』で登場。役場機能を埼玉県加須市に移し、廃校になった高校(旧騎西高校)を拠点に避難生活を始めた双葉町の人々だけでなく、福島県いわき市の仮設住宅に暮らす人々の取材も深め、その後の双葉町の人々が、それぞれに深刻で複雑な状況に置かれている「現実」を記録した。
1年目には予想も付かなかったような事態が2年目、3年目になってくると生じてくる。なぜ生じるのか。そして、なぜその被害を「被災者」がずっと被り続けなければならないのか。町の人々がそれぞれに「分断」されて行く論理を理解した上で感じたのは、どの立場だとしても「ギリギリ」のところでなんとか踏ん張っているということだ。それぞれに「ギリギリの思い」があり、やむなく引き起こされている「分断」。しかしその原因を作り出した側は、その現実をどこまで理解しているのだろうか。
●YouTube ビデオアクト「3.11から2年半が過ぎて」トーク
3本を連続して視聴し、製作者のトークを聴いて感じたことは、まだまだこれは「途中段階」であるということ。どの作品を見ても、どの話を聴いても「これからどうなるのかがわからない。でも、これまでも十分に、人々はいっぱいいっぱいだった」ということ。映像製作者たちは、その複雑な現実に身を投じ、一緒になって歩き、考え、悩み、表現できることを表現し、そしてまた歩き、考え、悩んでいく。その「通過点」にしか過ぎない、まさに「二年半」の時点でしか語られ得ない言葉や思いが溢れた上映会だった。今後のさらなる歩みをまた報告し合う機会が、必ず必要になってくることだろう。
報告者:島田 暁