2014年1月29日、第67回の上映会は「秘密保護法とソックリ!?軍機保護法」と題した上映会を行いました。
参加人数はスタッフも含めて32人で、多いとは言えない人数ですが、あまり宣伝力のないビデオアクトが地味に続けている上映会としては集まったほうです。
すでに成立してしまった「秘密保護法」。問題発言で物議を醸しているNHK会長によると「通っちゃったんで、言ってもしょうがないのでは?」とのことですが( http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014012602000107.html )、この法律が成立してしまったことに危機意識を持っている人は今も多いのでしょう。
今回、トークのゲストで参加された白石孝さんのお話にもありましたが、1年以内に施行されるという状況のなか「秘密法に反対する全国ネットワーク」には、1月29日現在で全国34団体が参加を表明しているそうです。
( http://www.himituho.com/ )
「秘密法(特定秘密の保護に関する法律)」は昨年12月6日に国会で成立しました。前日の5日、参議院特別委員会で自民党の石井浩郎議員が突然、審議を打ち切る同義を提出し強行採決されたことになっていますが、採決されたと言えるような状態ではありませんでした。( 動画→ http://www.dailymotion.com/video/x181uxq_%E7%89%B9%E5%AE%9A%E7%A7%98%E5%AF%86%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95%E3%81%8C%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2-%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%A7%E5%BC%B7%E8%A1%8C%E6%8E%A1%E6%B1%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%9E%AC%E9%96%93_news )

今回、上映したのはビデオプレス制作の『レーン・宮沢事件−もうひとつの12月8日』という1993年に制作された作品です。
1985年に「国家機密法案(スパイ防止法案)」が提出され、昨年の「秘密保護法」と同様に多くの人が反対し、その時は廃案になりました。そうした反対運動の余波があり、「こんな法律ができたら、たいへんな世の中にある」という思いから、この作品が創られたそうです。
これらの法律のなかでも特に有名なのは「治安維持法」です。ビデオプレスでは治安維持法によって捕まり拷問を受けた「横浜事件」を題材にした作品を1990年に創っており、その実績を評価されて『レーン・宮沢事件−もうひとつの12月8日』の制作依頼を受けました。
『レーン・宮沢事件−もうひとつの12月8日』は「軍機保護法」による事件を取り上げています。
「軍機保護法」は1937年にできた法律で、軍事機密を探ったり、集めたり、漏らしたりすると処罰される法律です。
しかし、この「レーン・宮沢事件」では、旅行中に見かけた海軍の飛行場のことを親しかった英語教師に話しただけで、話した方も話を聞いた方も捕まっています。しかも、その飛行場はすでによく知られた飛行場でした。
制作したビデオプレスの代表でプロデューサーの松原さんによると「治安維持法で共産党員はほとんど捕まえてしまい、捕まえる人がいなくなった特高が言論人や外国人を捕まえ始め、さらには一般人まで捕まえて、捕まえる際のでっちあげ性が高まった」そうです。
警察組織は仕事をする必要が無くなるとリストラされてしまう恐れがありますから、組織を維持するためにも逮捕する対象が必要になります。いまの公安がデモに参加している人たちの写真を無断で撮りまくっているのも「政府のやることに反対している連中がこんなにいる」という報告書を作って予算を確保するためではないかと思います。
飛行場のことを話して捕まった宮沢さんは酷い拷問を受け、終戦後に釈放されたものの獄中で患った結核により亡くなり、話を聞いたレーンさんとの親しかった関係も、この事件をきっかけに引き裂かれていったそうです。

ここで突然、個人的な話をさせていただくと、「国家機密法案」が問題視されていた1985年、私は「新宿LOFT」というライヴハウスで行われた「国家機密法大反対ギグ」というイベントに行きました。そこではパンクバンドなどのライヴに加えて映画監督の原一男さんが対談に出ていて、参加する人はあらかじめ原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』を観ておくようにということになっていました。
原一男監督の映画『ゆきゆきて、神軍』を観た私は、かなりの衝撃を受け、その後、自分の仕事での映像創りにもドキュメンタリーの手法を入れるようになりました。
実は、その後、ビデオプレスの仕事で1999年に『盗聴法はゴミ箱へ』という映像作品を創らせていただいています。
そういう意味では、この『レーン・宮沢事件−もうひとつの12月8日』を監督した秋元健一さんは私の先輩にあたります。秋元さんとは、以前「民衆のメディア連絡会」のメーリングリスト(PMN-ML)でやりとりさせていただいたことがあります。
一度、お会いしたいと思っていましたが、今回は連絡が取れなかったそうで残念です。

今回の上映会では、1993年の制作当時、北海道新聞に掲載された記事のコピーが配布されました。20年以上も前の新聞記事をしっかり保存しているあたり、さすがビデオプレスだと思いましたが、この記事がなかなか興味深かったです。
写真に写っているのはディレクター(監督)、カメラマン、音声マンの三人のスタッフで、大型のカメラにがっしりとした三脚を付けて撮影しています。機材の小型化もあり、自主制作のドキュメンタリー作品では、ほとんどこうした体制は無くなってしまいました。
複数のスタッフでの撮影体制にはメリットもデメリットもありますが、現在のように小型カメラで一人でちょこちょこ撮るのが普通になっている状況では、以前のような撮影体制の良さも再評価し、時と場合によっては複数体制も考えてみる必要はあると思います。
この作品は、アメリカ、イタリア、北海道のロケを敢行しているのも凄いです。そうとう重い機材を持って行って苦労したそうですが、苦労した創ったことが、作品の重みにも反映しているのではと感じました。
『レーン・宮沢事件−もうひとつの12月8日』のDVDは、以下で発売中で、上映会等の相談にも応じるとのことです。
http://vpress.la.coocan.jp/miyazawa.html