この作品、『ココデナイドコカ』は、自分の将来や恋愛に悩む弟を、姉が撮影したドキュメンタリーだ。主人公になっている弟は、たまたまセクシャル・マイノリティと呼ばれたりする人だったが、この作品自体は人権問題について訴える作品というよりは、青春ドキュメンタリーに近いと思う。
もっとも印象に残ったシーンは、弟が元恋人と会った時のシーンと、今の恋人とうまくいかなくなった時のシーンだ。多くの人が体験し悩む恋愛模様が生々しく撮られている。それは、セクシャル・マイノリティかどうかはあまり関係が無く、恋愛映画として印象に残る映像だと思う。
そもそも、セクシャル・マイノリティと呼ばれたりする人々は、20〜30人に1人ぐらいの割合でいるらしい。左利きの人と同じぐらいだそうだ。(ちなみに私自身、もともと左利きで親に矯正の指導をされて右利きになった。)20〜30人に1人ぐらいの割合なのにもかかわらず、世間では変人扱いされたり、話のネタにされたりしている。
この作品の作者である中川あゆみさんは、弟から打ち明けられて、なんとか彼を理解したいと思って撮影を始めたという。たしか2002年頃に撮影をしていたというから、自分や家族を撮った、いわゆる「プライベート・ドキュメンタリー」が流行り始めて少し経った頃だ。
プライベート・ドキュメンタリーというと、家庭用の小型ビデオカメラで撮っていてカメラワークは下手だけど、家族じゃなきゃ撮れない圧倒的なリアリティがある作品が多い。
ところが、この『ココデナイドコカ』は、そうではない。カメラワークが安定していて上手いのだ。監督の中川あゆみさんは映像制作会社に勤めているそうで、つまり「プロ」だ。そして撮影も、プロのスタッフが協力してくれたという。音楽の使い方なども自主制作とは思えないぐらい上手い。
その反面、家族である中川あゆみさん自身の存在は、作品からはあまり感じられない。プライベート・ドキュメンタリーだったら、もっと自分自身を出したほうがいいんじゃないかと僕は思ったが、監督自身が自分の存在を殺したほうがいいと思ったらしい。そして、ビデオアクトのスタッフのなかでは、そのやり方が良かったという感想もあった。
今回の作品とはあまり関係が無いし、ラべリングする事のマイナス面もあるが、理解しやすいようにあえて書いておくと、セクシャル・マイノリティの人たちを「分類」する言葉として「LGBT」というのがある。L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダーのことだそうだ。それぞれの立場の人には、それぞれの悩みや生きづらさがある。
以前、ビデオアクト上映会で上映した『しみじみと歩いてる』という作品は、そうした日常生活を送ることの困難さが、さまざまな人の体験を通してしっかりと描かれていた。
『ココデナイドコカ』は、監督の男性とその恋人のシーンが多い作品なので、さまざまな人たちの体験を通して、セクシャル・マイノリティと呼ばれる人たちの生きづらさをいろいろな面から訴えるというわけではない。(もちろん、そうした生きづらさを示している要素もあるが、それが主題ではないと思う。)
むしろ、作品の主人公の、自分のやりたいことと実際にできる仕事とのギャップや、なかなかうまくいかない恋愛、家族との関係などについて、自分の人生と似ているなあと共感しやすい作品だと思う。
性に対して、いろいろな感覚の人がいていいように、映像作品も「プライベート・ドキュメンタリーは、こうあらねばならない」「社会問題は、こう作るべきだ」などという決まりなどなくていい。人間も世界も映像作品も、多様なほうがいいだろう。
(報告分:小林アツシ)
今回の上映会告知ページ
http://videoact.seesaa.net/article/399288889.html