上映作品
『隠された爪跡』 監督:呉充功(オウ・チュンゴン)
9月1日、101回目のビデオアクト上映会は、1分間の黙とうから始まった。97年前のこの日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲った。そして、その直後、6,500名以上の朝鮮人が軍隊、警察、そして日本の民衆の手によって、虐殺された。新型コロナウイルス感染拡大予防のため人数制限された会場を「満席」で埋めた30名の参加者は、上映前の暗闇のなか、静かに目を閉じた。
上映作品は、『隠された爪跡』。37年前のフィルム作品だ。上映素材はDVDだったが、そのフィルムならではの質感と重厚なナレーションに引き込まれ、食い入るようにスクリーンを見つめた。監督は、当時27歳の呉充功(オウ・チュンゴン)さん。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の学生だったという。在日二世の呉監督は、さぞ歴史に詳しかったのだろうと思いながら作品を観ていたが、その予想は上映後のトークで簡単に覆された。「全然知らなかったんですよ!小学校低学年までは、自分は日本人だと思ってました」と笑って語る呉監督は、真摯で情熱的で、とてもユーモラスな人だった。
呉監督がこの問題に関わるようになったきっかけは、学校の卒業制作だったという。同じゼミだった年下の学生が「関東大震災をテーマに撮りたい」と言いだし、呉監督もそれに乗った。そして、ちょうどその頃、荒川の河川敷で地元の古老の証言をもとにした遺骨の発掘作業が行われることをニュースで知り、若い呉監督たちが事情もよくわからないままカメラを持って駆け付けた。で、結局、撮れたのは「穴だけだった…」。遺骨は出なかったのだ。映画『隠された爪跡』は、ここからスタートしたのだと呉監督は教えてくれた。
映画は、呉監督たちが隠された事実を知っていく過程を丁寧に映し出す。特に、兄を殺され、自らも自警団に刺されて、身体と心に深い傷を負っだ仁承(チョ・インスン)さんの証言が胸を打つ。作品内では「アボジ(お父さん)」と呼ばれる゙さんを通して、呉監督は「人生を学んだ」という。そして映画は、アボジが歩んだ人生を軸に虐殺の歴史的背景に迫っていく…。
上映後のトークではたくさんの興味深い話を聞けたのだが、特に印象的だったのは「歴史をミクロとマクロ、両方の視点から捉える」という話だった。関東大震災が起こった1923年だけを見るのではなく1919年3月1日から日本統治下の朝鮮で沸き起こった「三・一独立運動」まで遡って捉え返してみるという視点だ。1923年の朝鮮人虐殺は、パニックに陥った民衆が流言飛語に騙されて犯してしまった悲劇という話だけでは済まされない。なぜなら、関東大震災直後に戒厳令の発布を準備した警視総監は、日韓併合による植民地支配下で、朝鮮人の独立運動を厳しく取り締まった当事者でもあったのだ。
小池百合子都知事は、歴代知事が続けた追悼式への追悼文送付を今年も行わなかった。「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」とするヘイトスピーチ団体は、今年も9月1日に集会を開いた。そして、虐殺の事実から100年が経とうとしている今でも、日本政府からの正式な謝罪は一切ない。なぜ、今でも隠すのか?
穴しか撮れなかった撮影から37年、呉監督は現在、三作目を準備中だ。韓国に残された虐殺犠牲者の9家族、計16名を探し当てたという。アボジの悔しさを引き継いだ呉監督の執念に敬意を表したい。そして、心から応援したい。
(土屋 豊)