上映作品
『10年後のまなざし』(監督:村上浩康/山田徹/我妻和樹/海子揮一)
3月16日に『10年後のまなざし』を上映しました。本作は、宮城県周辺で活動する映像作家と市民が交流しながらネットワークを広めていくプロジェクト「みやぎシネマクラドル」が製作しました。2021年に東日本大震災から10年が経ったということで、4人の監督(村上浩康、山田徹、我妻和樹、海子揮一)が、各々20分の短編を作り、その4本を繋げたオムニバス映画です。
オムニバス映画が面白いのは、各々の監督の個性が違うので、その個性が如実に作品に表れてくることです。『10年後のまなざし』もそんな作品でした。
『冬歩き』(監督:村上浩康)は、村上監督が岩手県大槌町で暮らす、義理の父を撮った作品です。タイトル通り、冬の道を歩きながら父が震災の時、大槌町がどうだったか、この10年がどうだったかをぽつぽつと語っていく。その足取りとこの10年の歩みが重なっていく。監督と父の親密なコミュニケーション。ラスト、防潮堤から拝む初日の出に、複雑なものを感じました。
『あいまいな喪失』(監督:山田徹)は、短い中に大胆な構成が見事な作品でした。冒頭、放射能の汚染残土を入れたシリコンパックの前で、自宅に入れない武政さんがいる。ここは福島県浪江町だ。避難生活では、母が認知症となり、家族間の軋轢が生まれていた。その微妙な関係をカメラは見つめていきます。そして、映像は再び浪江町の自宅前を映し出す。とても痛切なラストショットでした。
『微力は無力ではない〜ある災害ボランティアの記録〜』(監督:我妻和樹)
東日本大震災では、全国から大勢のボランティアが被災地に入りましたが、奈良県から宮城県南三陸町に通う木下さんもそうした方の一人。ボランティアに何ができるのかという葛藤を抱えながら、木下さんは「自分が住む街に帰ってから、この被災地のことを語り続けることが大切」と語ります。そして、本作のタイトル「微力は無力ではない」は、木下さんの言葉でした。2014年に急逝した木下さんを、2018年、南三陸町の海に散骨するシーンに、胸が詰まります。
『海と石灰〜仮設カフェをつくる〜』(監督:海子揮一)
震災から1年後、宮城県女川町で仮設カフェを作る人たちの話。特に面白いのが、「灯台しっくい」と呼ばれる塗料を使って、壁を塗る塗装職人。彼のお父さんも「灯台しっくい」を使う塗装職人でした。監督の海子さんは、本職は建築家だそうで、「人が作ることを信じている」と、上映後、語られていました。被災地の人たちが「震災時間」と語るような、復旧・復興という掛け声で押し流されていく時間の中で、ふと立ち止まる時間が必要だった、という言葉が印象的でした。
上映後のトークでは、村上監督は、被災地でのマスコミ取材のことを話していました。山田監督は、2018年頃、原発災害の避難区域で、人々が帰還すると同時に、壊される家も出てきた時に、この作品の渡辺家の方に出会った、と言っていました。我妻監督は、「被災者だから」と一括りにせず、背景が違う人たちが出会うことが大切、と語っていました。
トークで面白かったのは、4作品をどういう順番で繋げたのか、という話。村上監督は、撮影前から、自分がトップバッターに、と言っていたそう。なぜなら、父に震災が起きた「過去」を語ってもらうからだ、と。また、海子監督は、人の創造性の話だから、一番最後がいい、と言っていた、と。撮影した時期で並べるのではなく、内容で並んだ4本だったようです。
(本田孝義)
「みやぎシネマクラドル」facebookのページ
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